懲戒請求は誰でもできます。費用もかかりません。ただし、無条件に許されているわけではありません。
根拠のない請求をした人が、対象となった弁護士から損害賠償を求められ、支払いを命じられることがあります。これは理論上の話ではなく、実際に判決が出ている領域です。
制度を使う前に、この裏側を知っておく必要があります。
最高裁が示した基準
判断の枠組みを示したのが、最高裁判所第三小法廷の平成19年(2007年)4月24日判決です。
この判決は、弁護士法58条1項に基づく懲戒請求が事実上または法律上の根拠を欠く場合において、請求した人が、そのことを知りながら、または通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに、あえて懲戒を請求するなど、懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるときには、違法な懲戒請求として不法行為を構成する、という考え方を示しました。
読み解くと、次のようになります。
まず、請求に根拠がなかったというだけでは足りません。結果的に「懲戒しない」となった請求がすべて違法になるわけではないということです。制度が広く門戸を開いている以上、当然の前提です。
そのうえで、根拠がないことを知っていた場合(故意)、または普通の注意を払えば知り得たのに請求した場合(重大な過失)に、違法と評価される可能性が出てきます。
注意したいのは、この基準が不当な訴訟提起の場合よりも緩やかだと指摘されている点です。訴えの提起が不法行為となるのは「著しく相当性を欠く」場合に限られるのに対し、懲戒請求では「相当性を欠く」と認められるときとされています。誰でも費用なく申し立てられる制度である分、請求する側に求められる注意の水準は低くない、という理解につながります。
大量請求が訴訟に発展した経緯
この基準が広く知られるきっかけになったのが、2018年前後に起きた大量の懲戒請求です。
日弁連の集計によれば、2018年の新受件数は12,684件。前年の約4倍です。日弁連はその要因として、一人で100件以上の懲戒請求をした事案が4例(合計1,777件)あったこと、特定の会員に対する同一内容の懲戒請求が8,640件あったことなどを挙げています。
インターネット上の呼びかけに応じて、多数の人が同じ内容の書面を提出したという構図でした。ひな形が用意され、それを書き写して送るという形です。
その後、請求された側の弁護士が請求者に対して損害賠償を求める訴訟を各地で起こし、賠償を命じる判決が相次ぎました。「みんなが出していたから」「書き方を教えてもらったから」という事情は、責任を免れる理由になりませんでした。
自分で事実を確かめずに、他人の主張をそのまま提出する。この行為が、まさに「普通の注意を払えば根拠がないと知り得た」と評価される典型例になったわけです。
請求する側が押さえておくこと
制度を萎縮させることが目的ではありません。根拠のある請求は制度が想定しているものであり、遠慮する理由はありません。押さえるべきは、次の点です。
一次情報で書く。自分が体験した事実、自分の手元にある資料に基づいて書きます。人から聞いた話、ネット上で見た情報、報道の内容をもとに請求するのであれば、その内容を自分で確認できているかを問い直す必要があります。
評価ではなく事実を書く。「悪質だ」「詐欺的だ」といった断定的な表現を重ねても、審査の材料にはなりません。むしろ、根拠のない表現として問題になり得ます。いつ・何があったかを淡々と書くほうが、審査にとっても自分にとっても安全です。
誇張しない。手続を有利にしたいという気持ちから事実を膨らませると、その部分が根拠を欠く主張として残ります。
呼びかけに乗らない。定型文が配られている、同じ書面を出すよう促されている——こうした形式の請求は、自分で事実を確認していないことが外形上明らかになりやすいものです。
目的を確認する。相手に圧力をかける、交渉を有利にする、報復する。こうした目的での請求は、制度の趣旨目的に照らして相当性を欠くと評価される方向に働きます。
事実に基づく請求は、萎縮する必要がない
ここまで読むと、請求すること自体が危険に見えるかもしれません。しかし、基準が問題にしているのは「根拠がないと知りながら、または容易に知り得たのに、あえて請求した」場合です。
自分が実際に経験したことを、手元の資料とともに、事実として書く。この形であれば、結果として「懲戒しない」となったとしても、それだけで責任を問われるものではありません。
懲戒制度は、依頼者や関係者からの申告がなければ動きません。声を上げること自体が制度の前提です。萎縮させないために、線引きが判例で示されているとも言えます。
書き方に迷う場合は、何が規律違反として扱われるのかを先に整理しておくと、事実と評価の切り分けがしやすくなります。