敷金が返ってこない。フリマアプリの取引相手が商品代金を払わない。知人に貸した20万円が音信不通のまま——。「裁判なんて大げさだし、弁護士費用のほうが高くつく」と泣き寝入りしかけている人のために作られたのが、少額訴訟という制度です。
これは簡易裁判所で行う特別な訴訟手続きで、60万円以下の金銭の支払いを求める場合に限って使えます。最大の特徴は、原則としてたった1回の期日で審理を終えて判決まで出ることです。通常の裁判のように何か月も期日を重ねる前提ではなく、1日で決着させる設計になっています。
少額訴訟でできること・できないこと
まず制度の枠を正確に押さえましょう。
- 対象は「金銭の支払い」の請求のみ。60万円以下でも、「物を返せ」「工事をやり直せ」といった請求には使えません。
- 請求額は60万円以下。利息や遅延損害金は、この60万円の枠には含めずに計算します。
- 利用回数に制限がある。同じ簡易裁判所で年に10回までしか使えません。業者が乱用することを防ぐためのルールです。
- 証拠と証人は即日調べられるものに限る。1回で終える建前なので、その場で確認できる書類や、当日出頭できる証人しか取り調べられません。
この最後の点が、向き不向きを分ける核心です。契約書・振込記録・メッセージのやり取りなど、紙や画面で完結する証拠がそろっている事件は少額訴訟向き。逆に、事実関係を複数の証人に確認しないと判断できないような込み入った事件は不向きです。
手続きの流れを順に追う
第1段階:訴状の作成と提出。訴状は、相手方(被告)の住所地を管轄する簡易裁判所に提出するのが原則です。簡易裁判所には定型の訴状用紙が用意されており、窓口で書き方の説明を受けることもできます。このとき「少額訴訟による審理を求める」旨を申し出ます。
第2段階:手数料と郵便切手の納付。訴え提起の手数料は請求額に応じた収入印紙で納めます。60万円以下の請求なら手数料は数千円程度で、これに書類送達用の郵便切手代が加わります。
第3段階:期日の指定と答弁書。裁判所が期日を決め、被告に訴状を送ります。被告からは答弁書が届くことがあり、ここで相手の言い分を事前に知ることができます。
第4段階:審理当日。法廷といっても、テレビドラマのような対決の場ではありません。少額訴訟では丸いテーブル(ラウンドテーブル)を囲む形式で行われることが多く、裁判官が双方の言い分を聞きながら進めます。途中で和解の話し合いになることも珍しくありません。
第5段階:判決。原則としてその日のうちに判決が言い渡されます。判決では、被告の資力などを考慮して、分割払いや支払猶予が命じられることもあります。
知らないと戸惑う2つの「どんでん返し」
少額訴訟には、申立てをする前に必ず知っておくべき仕組みが2つあります。
1つ目:被告は通常訴訟への移行を選べる。被告が「少額訴訟ではなく通常の訴訟で審理してほしい」と申し出れば、手続きは通常訴訟に移行します。こちらは拒めません。つまり、「1回で終わる」はあくまで相手が応じた場合の話です。
2つ目:判決に不服なら「異議」、ただし控訴はできない。少額訴訟の判決に対しては、控訴(上級裁判所への不服申立て)ができません。その代わり、同じ簡易裁判所に異議を申し立てることができ、異議が出ると通常の手続きで審理をやり直すことになります。
どちらの場合も事件が消えるわけではありませんが、「簡単に終わるはずだったのに」という想定は崩れます。相手が徹底的に争う姿勢を見せている事件では、最初から通常訴訟や他の手段を検討したほうがよいこともあります。
勝っても自動的にお金は入らない
見落とされがちな点をもうひとつ。勝訴判決が出ても、被告が任意に払わなければ、預金や給与の差押えといった強制執行を別途申し立てる必要があります。少額訴訟の判決に基づく強制執行には、簡易裁判所で手続きできる「少額訴訟債権執行」という簡便な制度も用意されていますが、相手の預金口座や勤務先が分からなければ差し押さえようがありません。訴訟を起こす前に、相手にどんな財産がありそうかを考えておくことは、勝ち負けと同じくらい重要です。
弁護士に相談する意味はあるか
少額訴訟は本人による利用を想定して設計された制度であり、実際に多くの人が弁護士なしで利用しています。請求額との兼ね合いを考えると、すべてを依頼すると費用倒れになる可能性もあります。
ただし、「訴訟を起こす前に30分だけ相談する」という使い方には十分な価値があります。請求に法的な根拠があるか、証拠は足りているか、少額訴訟と支払督促や調停のどれが適しているか——この見立てを最初に間違えると、時間も手数料も無駄になるからです。相談先を探すなら弁護士を検索から地域と分野で絞り込めます。相談料や依頼した場合の費用感は費用相場にまとめています。
60万円以下の争いは、金額こそ小さくても、当事者にとっては生活と尊厳の問題です。少額訴訟は、その解決を「弁護士に高い費用を払える人」だけのものにしないための制度だといえます。制度の限界を理解したうえで使えば、泣き寝入りを避ける現実的な選択肢になります。