取引先から「業務委託契約書」がPDFで送られてくる。10ページ超。開いて一通り目を通し、「まあ、普通のことが書いてあるんだろう」と署名して返送する——。個人事業主や小規模な会社の経営者なら、ほとんどの人に覚えがある場面ではないでしょうか。
問題は、この「一通り目を通した」という感覚です。契約書は読んだかどうかではなく、「自分に不利な条項を特定できたかどうか」がすべてです。そして不利な条項は、揉めごとが起きるまで牙をむきません。署名から1年後、トラブルが起きて初めて「あの条項にサインしていたのか」と気づくケースが典型です。
「読んだ」と「チェックした」は別物
契約書の危険な条項は、難しい言葉で書かれているとは限りません。むしろ一見すると当たり前に見える文章の中に潜んでいます。
たとえば「乙は、本契約に関連して甲に生じた一切の損害を賠償する」という一文。読み流せば「損害を与えたら賠償する、当然だな」と感じます。しかしこの条項には上限がありません。報酬30万円の案件で、取引先に生じた(と主張される)数百万円の損害の賠償を求められる根拠になり得ます。
「読む」だけでは、こうした条項の重さは見えません。「もしトラブルになったら、この一文がどう使われるか」を想像しながら読むのがチェックです。そしてその想像には、実際の紛争がどう展開するかの知識が要ります。ここが、紛争の現場を知っている弁護士に見てもらう意味です。
個人事業主の契約書に多い「危ない条項」
弁護士が個人事業主・小規模事業者の契約書でよく指摘するポイントには、パターンがあります。
- 損害賠償の上限がない:報酬額を大きく超える賠償リスクを負う形になっていないか。「賠償額は本契約の報酬額を上限とする」等の上限条項が入れられないか
- 著作権の全部譲渡+著作者人格権の不行使:デザイン・記事・プログラムなどの成果物について、二次利用や実績公開まで一切できなくなる書き方になっていないか
- 競業避止義務:「契約期間中および終了後○年間、同種の業務を行わない」——フリーランスにとっては死活問題になり得る条項です
- 検収と修正の範囲が無限定:「甲が満足するまで修正に応じる」型の条項は、追加報酬なしの作業が際限なく発生する入口になります
- 中途解約時の報酬:相手都合で途中終了した場合、それまでの作業分の報酬がどうなるか書かれているか
- 裁判管轄:遠方の裁判所が指定されていると、少額の紛争では争うこと自体が割に合わなくなります
これらは「相手が悪意で入れている」とは限りません。相手側の雛形が単に相手有利にできているだけ、ということが大半です。だからこそ、指摘すれば修正に応じてもらえる余地も十分あります。
弁護士は契約書のどこを見ているのか
弁護士のチェックは、誤字や形式の確認ではありません。おおまかに言えば、次の3層で見ています。
- お金の流れ:報酬はいつ・いくら・どんな条件で確定するか。減額・返金・違約金の引き金は何か
- トラブル時の武器と盾:解除できる条件、賠償の範囲と上限、免責。揉めたときに「この契約書のせいで動けない」状態にならないか
- 事業への長期的影響:知的財産の帰属、競業避止、秘密保持の範囲。この1件の契約が、今後の他の仕事を縛らないか
依頼するときは、単に「見てください」ではなく「この取引で自分が一番心配なのは○○です」と伝えると、チェックの精度が上がります。たとえば「途中で打ち切られたときに作業分の報酬をもらえるか」「成果物を実績としてポートフォリオに載せたい」など、具体的な関心を最初に共有してください。
自分でできる一次チェック
すべての契約書を弁護士に出す必要はありません。まず自分で次の点を確認し、引っかかるものがあれば相談する、という運用が現実的です。
- 報酬の金額・支払時期・支払条件が明確に書かれているか
- 「一切の損害」「甲が満足するまで」など、範囲が無限定な表現がないか
- 契約終了後も続く義務(競業避止・秘密保持)の期間と範囲は妥当か
- 成果物の権利が誰のものになるか、実績公開はできるか
- 相手からの解除は簡単なのに、自分からの解除は難しい非対称になっていないか
- 損害賠償に上限があるか
ひとつでも「よくわからない」があれば、それが相談すべきサインです。わからない条項は、たいてい自分に不利です。有利な条項なら、相手はもっと分かりやすく書いてきます。
費用対効果をどう考えるか
契約書チェックの費用は事務所や契約書の分量・複雑さによって幅がありますが、単発のレビューであれば数万円程度から受けている事務所が多く、訴訟に比べればはるかに小さい金額です。具体的な水準は費用相場で解説しています。
費用対効果は「この契約で動く金額」と「最悪のシナリオ」で考えます。数万円の単発案件の定型契約なら、チェック費用のほうが高くつくこともあり、自分での一次チェックで足りる場合も少なくありません。一方、(1)取引額が大きい、(2)長期継続する、(3)ひな形として今後何度も使う、(4)損害賠償や知財など重い条項が入っている——このどれかに当てはまる契約は、チェック費用が保険料として十分に見合います。特に「自分側のひな形を一度作ってもらう」のは、以後の全取引に効くため費用対効果が高い依頼の仕方です。
弁護士でなくてもよい場合
正直なところ、すべてのケースで弁護士が必須なわけではありません。契約書の「作成」自体は行政書士も業務として行っていますし、定型的な取引で相手が大手のひな形を一切修正しない(交渉の余地がない)場合、チェックしても打てる手が限られることもあります。その場合でも「どのリスクを飲んでサインするのか」を把握してから署名するのと、知らずに署名するのとでは、その後の行動がまったく違います。
紛争になったときの見通しを踏まえた修正交渉まで見据えるなら、企業間取引の契約書の取扱いが多い弁護士に相談するのが確実です。弁護士を検索では取扱い分野から絞り込めます。
署名の前の30分の確認が、揉めたあとの1年を減らす——契約書チェックとは、要するにそういう投資です。